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2011.3.11東日本大震災を振り返る3

この特集は「2011-3-11東日本大震災を振り返る2」の続きになっています。まだの方は、先にこちらをご覧になることをおすすめします。


 

その日は、避難した医院のビルの空き部屋にみんなが集まって、近所の方が避難の時に持ってきていた携帯ラジオにずっと耳を傾けていました。

灯りが何もなかったため、医院の方が家にあったという小さなキャンドルをたくさん持ってきてくださり、なんとか最低限の灯りを確保することが出来ました。
深夜になっても、寝ることさえ考えられず、唯々これからどうしていこうという話をするばかりでした。

普段ならあっという間に過ぎる夜も、津波の後はまるで時間が止まっているかのように感じられ、薄暗い灯りの中互いに肩を寄せ合い、じっと時間が過ぎゆくのを待つばかりでした。

時折、余震がおきると周りから「あっ、また地震だ。」と怯えるような声があがり、私たちも、大丈夫だろうか。この地震はいつまで続くんだろう。という思いでいっぱいでした。

閉じられた部屋の中で、得られる情報はラジオから響くアナウンサーの声のみ。
早く夜が明けないだろうか、朝になればまた状況が変わるかもしれない。それが唯一の希望になっていました。

何時頃でしょうか。空が少しずつ明るくなってきたころ、一人二人と屋上に上がっていきました。あたりは降り積もった雪で、各家の屋根が真っ白に染まっていました。
津波で車や周りの木々を巻き込みながらなだれ込んできた水は、付近の道路や空き地を埋め尽くし、まるで鏡のように空を映し出していました。

それから水が引くまでの数日間、私たちを含め自宅で避難していた人たちも家に閉じ込められることになりました。不思議に、のどの渇きも、空腹感も感じることなく、ただ寒さをしのぐために、身を寄せ合いながら一日を過ごしました。

道路を埋め尽くしていた水が少しずつ引き、ひざ下くらいまでになると、みんなが家に戻り近隣の方たちの安否確認を行ったり、今後の避難をどうしようとかを話し、情報交換を行っていました。

各避難所には、多くの人たちが集まり、支給された毛布や段ボールで暖をとり、食事はパンや菓子類などが配給されていました。
壁という壁には安否確認の貼り紙が貼られ、家族や知人の安否を確認する人たちであふれていました。

食料や飲料、衣類などは少しずつ全国・全世界から寄せられはじめ、最低限の生活を確保することが出来るようになりました。自衛隊の方々も野外炊飯やお風呂の提供をして下さり、お年寄りたちは、冷えた体を温め、やっとほっとしていたようでした。

夜が明けると同時に起き上がり、毛布にくるまりながら暖をとり、配給の食事をいただき日中は家族知人、会社の同僚たちの安否確認に町中を歩き回り、自宅ではヘドロの掻き出しや、使えなくなりごみと化した家財の処分作業、近所の炊き出し作業の手伝いなどに明け暮れ、日が暮れるとともに避難所に戻り寝る生活。

ようやく家のかたづけや清掃作業が出来て、家で暮らすことが出来るようになったのは、震災から1カ月以上たってからのことでした。
(終)文責 小野
 

<被災後の石巻夏の川開き祭り慰霊祭> 2011年7月31日撮影

7月31日 石巻では年に一度の大きなお祭りである「石巻川開き祭り」が開催されますが
この年は宗派を超えて、多くのお寺のご住職たちが集まり、合同の慰霊祭が執り行われました。


住吉公園前の灯篭流し
  住吉公園前の北上川河口では、震災で亡くなられた方々への思いと未来への願いを込めて灯篭流しが行われました。

石巻マンガロードでは、地元の子どもたちが作った数多くの灯篭が並べられ、一つ一つに火が灯されました。

<被災後の雄勝地区周辺> 2011年9月13日撮影
石巻市立雄勝中学校

雄勝地区の主要道路
正面奥に石巻市立雄勝中学校が見えます。大型トラックが常に往来しています。
左側の道路そばには、民家の柱や流れ落ちた木々等がうず高く積み上げられています。

石巻市雄勝総合支所
大震災から半年、道路はきれいになりましたがコンクリートの建物はそのまま残されています。周りにはコンクリーとの建物以外はすべてなくなり、更地になっています。

3階建ての雄勝病院や郵便局も、大震災の津波で丸ごと飲み込まれてしまいました。コンクリートの外壁のみが残されています。

<被災から10か月後の女川町内>  2012年1月13日撮影

マリンパル女川の建物の前には、コンクリートの3階建ての建物が倒れています。
コンクリートの建物を倒すほどの津波の怖さを感じます。

女川の町中は被災した建物はすべて取り除かれ、更地となっています。
小高い所に建てられている建物のみが一部残されています。

<被災後11カ月後の牡鹿町付近> 2012年1月23日撮影

牡鹿ホエールランドは建物と船がそのままのこされています。
坂の上の方には、家々が流されずに残っています。

十八成浜

夏には多くの海水浴客でにぎわう「十八成浜」(くぐなりはま)も、砂浜の面影も残っていません。
松の木だけがかろうじて浜があったことを語りかけています。


これまで3回にわたり、「2011年3月11日に私たちを襲った「東日本大震災」について記させていただきました。後半は駆け足で廻った感じですが、他にもまだまだ語りつくせない、多くの震災の記憶があちらこちらに残されています。
この未曽有の体験をした私たちだからこそ、その悲惨さと、これからまた起こるかもしれない震災から自分たちの身を守るために、多くの方々にこの体験を伝えていかなければと思います。

石巻に観光にいらっしゃる方々には、ぜひこの震災の状況、そして復興の道のりを知っていただければと思います。
自分たちの未来のために・・・


この特集は「2011-3-11東日本大震災を振り返る2」の続きになっています。

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